ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落003 [2016-08-30]


003 And in dealing with the religious or spiritual side, one should not be disturbed regardless of his faith. For the Creator whom we call God, created everything that is known and yet to be known. And to know the Father of all creation, one must study His creation and its purpose.
003 また、宗教や精神的な側面を取扱う際には、人は自身の信条がどのようなものであっても妨害を受けるべきではありません。何故なら、私達が神と呼ぶ創造主は、知られている、そして今後知られることとなるあらゆる物を創造したということ。そして、全ての創造物の父を知るために、人は父の創造物とその目的を研究しなければならないからです。



【解説】
私達は各々一人で”生命”について探究して行く必要があります。またその手法は各自に委ねられていると言うことも出来ます。”生命”の源である創造主はやがて来る私達を見守って呉れているように思います。
最初の内は、自分の歩む道こそが正しく、他の道は誤りに見えるかも知れませんが、実際、山登りのようにある程度の高みまで上るとそれぞれがいずれも頂上を目指していたことが分かります。
古今東西の哲人や宗教指導者の教えも同様に、究極の目指す所、教えの真髄はどれも共通しているように思うのは私だけではないような気がします。
従って”生命”を探究しようと思う者は、その初心を大切にして自ら探究の道を進むべきであり、決して邪魔されたり、横やりを受けるべきではないのです。よくこのアダムスキー哲学の分野でも知識のレベルでの議論から、互いに意見が異なり論争となるケースもありましたが、それら論争は無用のことであり、各自の進みたいような道を探究して良いということを本項は説いています。


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