ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落088 [2014-05-26]


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Thinking deeply about all this, I asked myself, "Suppose I had sight so great that I could see television pictures without the aid of a television set. Suppose my hearing was so keen I could hear the beautiful music traveling through space from station to station without using a mechanical device. Would not my sight and hearing be developed into the fourth dimension?" I then turned my attention to the senses of taste and smell. Suppose I were able to taste the apple before it matured; or detect the fragrance of the flower before it blossomed; would I not have the senses of a superhuman.
088 これら全てのことを深く考えた後、私は以下の事柄を自分に問いかけました。「テレビの助けを借りずにテレビ映像を見ることが出来る程の大いなる視覚を持っていたとしたら。」「私の聴覚があまりに鋭敏なので機械装置を用いることなく放送局から放送局の間の空間を伝わる美しい音楽を聞くことが出来たとしたら。私の視覚や聴覚は四次元の中にまで発達出来ないであろうか?」次いで、私は自分の注意を味覚と嗅覚に転じました。私がりんごが未だ熟する前にそのリンゴの味を味わうことが出来たとしたら、或いは花が咲く前にその花の香りを嗅ぐことが出来たとしたら、私は超人の感覚を持つことになりはしないかと。



【解説】
実は私達の四感も発達させれば、本項のような従来の結果の領域に限られず、遠隔地や未来を把握出来るようになるということです。既存の感覚器官がどのようにしてそれを可能とするか、私には説明出来ませんが、印象を感受した後、その印象が持つ感覚的な要素に対し、既存の感覚が反応し、類似した感覚作用を発するのではないかと考えられます。
これらは未来予測や遠隔透視の際に受ける宇宙の因からの印象が、心によって具体化される際に表現される経路ということになります。具体的に言えば画家がカンバスに向かう際に目に浮かぶ画のイメージや作曲家にとって新しい旋律が頭に浮かぶ場合です。これらは全て宇宙の印象が具体的に結果の世界に表現される際に起こる現象ではないかと考えられます。


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