ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落019 [2012-01-31]

019 Even Jesus had to go through many unpleasant experiences and made a mistake when he drove the money changers from the Temple. For he taught, judge not. But when he realized his mistake he knelt in front of the Temple and asked his Father for forgiveness.

019 イエスでさえ多くの不快な体験を経なければなりませんでしたし、あの寺院から両替商を追い出した時は過ちを犯しました。何故なら、彼は裁くなと教えていたからです。しかし、過ちに気付いた時、彼はその寺院の正面にひざまずいて彼の父に許しを請うたのでした。







【解説】

最も陥り易い過ちが他人を裁くことなのでしょう。本項はイエスでさえも過ちを犯したと告げています。何故、他者を裁き、決め付けること、ひいては相手に怒りの念を起こすことが大きな過ちかを考えてみましょう。実は私達自身、これまで無数の過ち、即ち贈り主にとってはひどい仕打ちを平気で行っていても、贈り主(創造主)からただの一言も不満の印象が発せられたことが無いのです。

贈られた好意を無にしていても、飽くことなく私達には様々な恩典が惜しみなく与えられています。そのお蔭で、私達は命をつないでいるという訳です。その創造主さえ、長年無視され、裏切られた贈り主さえ、私達に一言の非難もない以上、私達が他者を批判する資格など無いのです。

以前、読んだマザー・テレサの本の中に、マザーが戦争反対のデモに加わって呉れませんかと頼まれた時のことが書かれていました。その時、マザーは自分はそのデモに参加出来ないと告げています。戦争反対のデモではなく、平和を祈るデモなら参加しますという内容であったと記憶しています。私達は裁きに代わって、感謝や祈りを生活の中心に据える必要があるのです。


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