ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課 段落417 [2008-12-19]

417 We must remember that consciousness is the sea of life within which all forms are living regardless of what they may be. And outside of which there is no life. So when the mind becomes alerted that it is living within that sea and must depend upon the sea of consciousness for its own life then this awareness begins to impress itself upon the mind with new knowledge of various phases of its action and the various types of forms through which it expresses. Like certain fish in the ocean that are alert enough to sense a disturbance, conveyed through the water in which they live.

417 私達は意識はありとあらゆる全ての形有るものがその内側に生きている生命の海であることを覚えていなければなりません。そしてその外側には生命は無いことも。ですから心は自らがその海の内側に生きており、それ自身の命について意識の海に頼らなければならないことに感づくようになると、この気付きは心に対して意識の様々な行動の側面や意識が表現する様々なタイプの生命形態に関する新しい知識を印象により授けようとしはじめます。それは丁度、大洋の中のある魚が自らが住む水を通じて運ばれて来るうねりを感じ取るだけの鋭敏さがあるのと似ています。





【解説】

本講座を学ぶ人が終始一貫して身に付け、理解しようとしているのが「宇宙意識」という万物を支える存在であろうと思います。自らの心については、これまでの学習によってその不安定さや知識の不足について分かるようになり、ある程度客観的に自らの心を見ることが出来るようになったことでしょう。

一方、「意識」については、その存在を理解するのは容易ではありませんでした。しかし、ここで有益なヒントが提示されています。本文の表現「意識は生命の海であり、その外側には生命は無い」という部分です。つまり、私達の内、生命の部分(敢えて言えば無生物、つまり物体の部分があるとすれば、それらを除いた、命を持った部分)には境目が無く、この生命の海の中に生きているということです。その結果、私達はその中で時間や距離に関係なく、何処へでも自由に移動でき、他の生命体とも一体化し、相手を理解することが出来るということだと考えられます。

これまでの何故、アダムスキー氏が「意識」という表現をして来たか、ここで始めてその意図が掴めた気がします。その生命の海の中に私達が住んでいる訳ですから、各自が日常的に持っている精神面の主体(各自の「意識」とでも表現しておきましょう)は、実際にはこの生命の海の中を各自の意思により自由に動き回っているということです。その感覚をアダムスキー氏は「意識」と表現したのだと思います。

また、更に重要なことは、そうした生命の海という意識感覚は実は生命活動をすべて支えている大変大きな存在であるということです。私達が十分にまだ気付いておりませんが、身の回りの意識感覚こそ、絶大なるパワーがあり、宇宙くまなく巡っている生命力であるということです。この理解さえあれば、一見物質世界から見ればどのような苦難であってもおそらく、あまり苦労や悲観はないものと思われます。自分の周囲にはすべての生命力が満ちている訳です。こう考えて来ると、野生動物が過酷な自然環境や生存競争の中でも、何ら悲観することなく、毎日を楽しんでいる姿は容易に理解できるようになりました。彼らは自分達を常に包み込んでいる生命の源である意識の存在を知っているからです。


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